2011-02-23

今だけ見てて、ホントに良いの?

前post(ふかくかんがえない:blog: タブレットへの倦怠感:その理由 | WIRED VISION)の scighe さんのコメントへのコメント と言うことで。

タブレットPCって実はずいぶん前から有って、でも、それが何で今みたいにブレイクし得なかったのかというと、「結局NotePC」だったからだと思うんです。
あの頃のタブレットPCって、NotePCのディスプレイ部分をこう、クルッと回してタブレット状にしたもので、最近もHP辺りで見かけたような

タブレット機能搭載ノートPC
ThinkPad X60 Tablet(Lenovo)
(どっちも、法人向けだ)


で、こう言うものって、結局NotePC持ち歩いているのと変わんなくって、それで、一般向けに出しても見向きもされなかったのかなと思うんです。


でも、今のタブレットPCって、「利便性の追求」の一つの回答じゃないかと思います。
性能を有る程度犠牲にしても軽くて扱いやすいモノ。


こう言うところって、例えば、NetBookも同じ「起動が早くって、Webに繋いで、本体も小さく軽い」事の一つの解答。

つまるところ、今のiPadにしても、Andriod tabletにしても「成長の途中」だと思うんですね。
ただ、先の記事は、そう言う部分をすっ飛ばして「ダメジャン。今ならこれこれの方がずっと良いよ」って言っちゃってるとこなんですね。嫌なのは。

ただ、「それじゃあ困る」って層は居る訳で、なら、そう言う人達は、既存のNotePCでもKindleでも使えば言い訳で、そう言う選択肢は十分に有り過ぎるほどあるんですね。

まあ、件の記事も「はあ、そうですか。ご高説ありがとう。」でスルーしちゃえる程度って言えばその程度で、いちいち噛み付くことも無いと思うんだけど。なんか、「ああ、いつものアレかぁ」って思っちゃったので、書いてみたんです。

では~。

タブレットへの倦怠感:その理由 | WIRED VISION

タブレットへの倦怠感:その理由 | WIRED VISION:

えーっと。ごめんなさーい。もうね、こう言う評論は飽き飽きしてる。

最初の、
しかし、タブレットでは、操作しようとすると、自分のかなり大きな手がディスプレーの一部を隠してしまう。作業空間が、「表示する平面」と「入力する平 面」に分離していることは、文章の黎明期から存在する構造だ。そして、文章や絵を生み出すことが有意義なことである限りにおいて、これからも続くだろう。
ここには、同意。表示と入力部分が同一面上では(特に小さい画面の場合)デメリットになるだろう事は容易に分かる。

でもね。

タブレットはこれら全部を便利にこなすが、それぞれの技を見れば、優れているとは言いがたい。ビデオ視聴にはTVのほうがいいし、本を読むには Kindleか本物の本のほうがいい。ウェブ閲覧も、たくさんタブをあける人であれば特に、コンピューターのほうが優れている。ゲームも、専用機やパソコ ンゲームより優れたタブレット用ゲームは経験したことはない。
については、何おんなじこと言ってんだゴルァなんだな。

DesktopPC全盛の頃のNotePC
NotePCが高性能化した頃のNetBook
銀塩フィルム全盛時のデジカメ

どれも、「比較されて」結果として「足りない/劣っている」って評価されたものばかり…じゃない?
 でも、こう言ったものも、時間と共に性能が上がって、今やMain Streamとも言える。(あ、NetBookは違うか)
まあ、あくまでも「今現在は」なら、言いたい事も分かるけど、あまりにも後ろ向き過ぎやすぎないか?

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