2011-03-27

カエルが…鳴きます

どもです。

今朝(3/26)、子供たちの友達からTELがあって、
ズーラシアに行くけど、一緒に行かない?」
って。
で、まあ、特に予定も無かったので、そのお友達のお父さん引率でお願いしちゃいました。^^;

その、おみやげで買ってきたのが、カエルのおもちゃ(ラムネ入り)
コイツです。

で、これが…鳴くんです。
ケロケロって…。

いや別に恐い訳じゃないんだけど。

で、動画にしてみました。



結構、リアルな鳴き声。

因みに、このカエルは、アカメアマガエル(ウィキペディア)。南米に住んでるヤツ。
でも、この鳴き声が実物にどれだけ近いのかは、知らない。

では〜。

2011-03-23

障害者の祝福についてのみ言

ども。

前回、韓国天宝会定期総会における李妍雅様のみ言 は、意外にPage Viewが有ってちょっと嬉しく思ってます。
で、今回は、同じ天宝会のWeb Page から、家庭教育局 家庭教育局祝福教育部長 桜井正上の「障害者の祝福についてのみ言」 を転載させていただきます。
「障害者だから祝福が受けられない」と思っている食口の為に、


子女の幸福を願う心は、どの家庭の親でも同じことでしょう。その子に障害がある ならば、それを何とかしてあげたい…、そう思うのが親の共通した思いなのかも知れません。しかし、私はまた、天宝会の方々と交わりをもたせて頂く中で、障 害という事実そのものが幸福の妨げになるものではないのだ、ということを学ばされました。障害というものを通して、むしろ親子が向き合い、そこに、深い天の心情や計らいを見出している父母たちの姿を見たからです。問題があるとすれば、それはむしろ、祝福家庭に障害があるという事実ではなく、障害を問題とす る私たち自身の姿勢なのかもしれませんし、そうした家庭を共にサポートできるだけの環境と文化が充分に培われていないことなのかも知れません。


私自身、障害に関する多くの知識は持ち合わせて いませんが、堀局長のご指導のもと、遠藤先生や大知先生に様々な内容を学びながら、また、各国の海外の祝福担当者と話し合いながら、その間、障害をもつ二 世における祝福というテーマに関して、共に話し合いの場をもってきました。ここでは、そうした家庭教育における現時点での考え方や今後の取り組みに関して、簡単に整理してみたいと思います。
第一に、重度障害を含む全ての二世に対して祝福の道は開かれているのだ、ということを強調しておきたいと思います。勿論、子女の出産まで至れるケース、出産は難しいが夫婦生活は行えるというケース、夫 婦生活は難しいが夫婦愛を深めることまではできるケース等、障害のレベルに応じて、到達できる範囲は限られるかも知れません。しかし、少なくとも、永遠の 世界を信じる私たちにとっては、地上において、永遠に続く夫婦の因縁を、「天によって結んで頂く」ことほど尊いことはないでしょう。今年、10月14日の 祝福式で、日本からも1組、重度の障害をもつ子女同士が、父母のマッチングによって、尊い祝福の恩恵に与りました。勿論、今後も周囲のサポートが必要かとは思いますが、この事実は、同じ目標ももって歩む、多くの家庭に希望を与える出来事であったに違いありません。

第二に、障害をもつ二世たちを、共に祝福の相対として考えていけるような父母マッチングの文化を作っていきたいと考えています。障害をもつ子女の親としては、「やはり同じ痛みの分かる家庭同士で…」 と、考えられる傾向が多いようですし、実際、周囲の理解やサポートが必要であることを考えると、それも適切な観点だと考えます。しかし、だからといって、 障害者同士で祝福を受ける、というルールがある訳でもなければ、障害者と健常者とが共に祝福を受けていく可能性を見失うべきではないでしょう。相対決定に おいて大切なことは、「神様の願う人と出会うこと」だからです。

障害者の親と健常者の親とが、それでも互いの子女とのマッチングを考えるのにとまどいを覚えるのは、ただ、「障害に対する知識が不足しているから」なのかも知れません。現在、父母マッチングのための父母の集会を年に2回開催していますが、まずはその全体集会で、障害をもつ子女との祝福について学ぶ講座を設けることから始めました。勿論、障害をもつ子女の父母もここに参加することは可能ですし、希望があれば、子女の情報を紹介することも可能です。本来、こうした学習の場は、父母が子女の祝福を考え始める ような、もっと早い段階で行うべきなのでしょうし、それこそ二世教育の中で、障害をもつ子女との交流や祝福結婚というテーマを考えられるような環境作りこそ必要なのかも知れません。いずれにせよ、まずはできることから始めながら、少しずつ全体の意識を広げていくことが大事だ、とそう考えています。

第三に、障害をもつ二世の祝福対象者の情報を共有できるネットワークとサポート体制を構築することです。まずは、障害をもつ子女のうち、どれくらいが祝福の対象年齢に入っているのか、また障害と一概に いっても、みなタイプも程度も異なりますので、候補者個々の状況がどうなのか、に対する情報の共有が必要でしょう。現在、二世祝福対象者のためのウェブサイトが設けられていますが、そこにはまだ、障害に関する詳細情報を記入できるような欄がありません。これを、障害をもつ子女の登録にも対応できるようなシ ステムに改善するのか、或いは、天宝会用の独自のウェブサイトを立ち上げていくか、といったことに関して、現在、検討中です。アメリカ等では一早く、独自のサイトを立ち上げたようですが、国際の担当者間でもそうした情報の連携について、現在、話し合いを始めています。

ただ、それ以上に大切なことは、各家庭において 祝福に向けた意識を高めていくことでしょう。天宝会では現在、子女の年齢別の父母の集いを始めていると伺いました。遠藤先生や大知先生といった専門スタッ フのアドバイスを得ながら、そうした地域での学習会や交流を重ねていくことで、「何とか祝福を…」という観点から、その後の将来の展望や将来を見据えた立場で、子女の祝福や家庭生活を考え、またそこに向けて準備していけるような環境が築かれていくのではないかと期待しています。家庭教育局でも今後、天宝会 の方々と協力しながら、障害をもつ子女のための祝福ガイドラインといったものを準備していけたら、と思っています。こちらもまだまだ力不足ですが、共に力を合わせながら、祝福家庭の幸福実現に向けた、より良い環境と文化を作っていきましょう。



結局のところ、障害者と言うものに対しての「知識」も「認識」も「愛」も足りないのが、我々だと言える。自分自身も、次男がダウンで無ければ、どこまでこう言う事を意識し得たかどうか…。「自分の中の国境線」を撤廃しなければ本当にFlatな世界は成し得ないとも思う。

とは言え、自分自身の問題がまだまだ多いので、そっちが手一杯だったりする。

まあ、子供の事なら、障害の有無に関わらず、その将来には責任持ってかなくちゃねぇ。

では〜。

2011-03-21

オーズ - グリードはどっちの手でメダルを入れる?

どもです。

オーズの25, 26話で、アンクの左手(以下、左アンク)が出てきましたねぇ。
こいつが今後どう絡んでくるのかがとっても楽しみなんですが、以前(17話)で、映司とアンクにこんな会話がありました。
映司「セルメダル足りないからって、お前がヤミー作るなよ」
アンク「…出来ればやってる」
この時も、かなり意味深なセリフだと思っていたんですが、今回25話で、左アンクと、鳥系ヤミーの登場でした。

2011-03-05

韓国天宝会定期総会における李妍雅様のみ言

えと、ども。

ウチの次男君がダウン症児であることは、このBlogにも数回書いたのでご存じの方もいらっしゃると思います。 < そんなに読みに来ていないって。
で、そんな次男君繋がりで、「天宝会」という障害児の会に参加しているのですが、この会、韓国にもあって、その総会の時に特別ゲストとしてお迎えした李妍雅(ヨナ)様のみ言をご紹介します。
ちょっと、長いですが天宝会事務局のお許しを得て、全文掲載したいと思います。
原文) (天宝会HP

天宝会の会員の皆さん、こんにちは。食口の皆さん、こんにちは。資格もない私がこのようにこの場に立つようになり、本当 に申し訳なく、そして栄光に思います。今日は天気が、雨がたくさん降って、ここに来るのも大変だったでしょう。でも、このように皆さんが集まって、天宝会 の会合を開けるようになり、本当に嬉しく思います。
社団法人・多文化センターで、江利川会長が天宝会の総会が今度あるので来てくれませんかと言われて、本当はとても躊躇しました。事実、私は本当に資格がないと思ったのですが…。韓国天宝会の初代会長の西海さんが、天宝会の総会で、天宝会の会員の兄弟たちをどのように育てればいいかについて、助言してくだ さいませんかと言われたので、勇気を出してやってきました。
私がこれからお話しする多くは、客観的なことというよりは、主観的なことが多くあります。私がどのように経験し、どのように感じたかという。ご存じと思 いますが、私の弟は知的障害があります。約5、6歳の知的障害を持っています。そのため、その弟の姉の立場で、兄弟の立場で、食口の皆さんに少しでも役立 てばと思います。
一般的に、私は障害児童という表現を使いますが、その表現が少し気に入らないとか、他にもっといい表現があれば、推薦してくれませんか。(反応なし)それでは、いったんそのように表現することにします。
障害児童をもつ兄弟は、とても早く成熟するように思います。また、心情が非常に深く、 他の人に対する配慮が身についています。なぜかというと、そんな兄弟がいるので、面倒を見てあげないといけないということが強い、何というか、責任感が強 く、独立性も非常に強い。なぜかというと、両親が自分にしてくれることは多くないということを知っているので、幼い時から自分のことは自分がしなければな らないということが強いので、独立性が非常に強いのです。それから、いつか両親が亡くなれば、私がこの障害をもった兄弟の責任をもたなければならないかも しれないという思いがあるので、責任性が非常に強いのです。
外にはそのように表出するのですが、内ではまだ幼く、まだ育つ過程なので、そのように忍耐し、外見では非常に責任感があり、独立性があるように見えるの で、「ああ、この子は早熟だ」と人々は言いますが、内では愛を受けたいという欲望が非常に強いのです、こんな子供たちは。私もそうでした。
それで、ある面では、私が受けるべき愛なのに、兄弟が障害があるという理由だけで両親の愛を全部取ってしまう、そのように考えるので、ある面では嫉妬心 もあり、ある面では憎しみもあり、あなたのために私の家庭はこんなに苦しいんだという憎しみもあり。そうでありながら、同じ瞬間に、与えてあげなければな らないし、私が持っている物を分けてあげないといけないし、そんな心…。このように二種類の、融和されない二つの心が常に衝突します、自分の心の中で。幼 い年で、未成年者の立場でそれに耐えるのは、本当に大変です。
人々は私に愛しなさいというけれど、私の心の中に(障害を持つ)兄弟に対する憎しみがあるので、それが大きな罪意識として現われ、それが表出できない、そんな形態をもつようになるように思います。私が振り返ってみると。
そんな兄弟たちに、両親がやってあげられることは、実際、多くあります。私が今日、兄弟たちが感じること、どう育てれば良いのか、ゆっくり考えてみながら、両親がやってあげられることを5つにまとめてみました。
第一は、両親が障害児童について、天宝会の会員の子供に対して、両親のせいにしないことが非常に重要だと思います。
父母たちはよくこんなことを言うじゃないですか。子供がこんなに障害をもって生まれた のは私のカルマ(業)だ、私の業報だ、こんな話をよくされるようです。そうでなければ、先祖に罪があって子供がこんなふうに生まれた。また、争ったりもさ れますね。あなた側の先祖に問題があるとか、いや、そうじゃない、日本の国がこうだから…、などと言われますが、そんな話をすることは子供が大きく傷つき ます。
なぜかと言えば、私にもそんな血統があるので、私にもそんな罪が連結するかもしれないなと心理的に考えるので、父母がこんな話を子供たちの前でしないこ とがとても重要です。そのように血統があるので、子供たちは非常に恐ろしく思うし、自信をなくします。それじゃあ、私は根本的に何か欠陥があるのかと、我 知らず考えるようになるので、そんな話を本当にしないことが、第一に重要です。
それから、兄弟に障害児童がいることを恥ずかしく思わないよう教育をしなければなりません。
私の弟の場合は、5歳ぐらいの知的水準があって、今、27歳ぐらいになりました。私より5歳年下なので。
ところで、私の弟はそんなにひどくはありません。今、肢体(障害)2級を受けています。1級がいちばん深刻ですが、2級を受けていて、独りで挙動するこ とができ、言葉も話せて、本を読むこともでき、足し算引き算をすることもできます。ですから、そんなにひどい状態ではありません。ところが、私の知ってい る祝福家庭の中で、どんな家庭がいたかというと、この子の場合は肢体障害児童でしたが、もちろん、歩くことはできましたが、ろくに話すことができず、いつ も横に小便を入れる缶をさげていました。腎臓に問題があったので、正常に小便ができないので、いつも缶をさげていました。夏になると、その子が来るととて も臭いのです。いつも小便缶をさげて歩かないといけないので、とても臭いので他の子供たちも近寄らないし、はげしくからかったりしました。
客観的に見ると、私の弟の状況とその子の状況は、私の弟がはるかにいい状況でした。ところが、小便缶を下げて歩いていた子供のお母さんは、その兄弟たち にこのように教えました。「弟について、絶対に恥ずかしいと思ってはいけません。弟がいるから、あなたたちがいるのです。弟を通して、あなたたちがどれだ け多くのことを学んだか。他の人に配慮することを学んだし、お父さんとお母さんもこの子を通してもっといい人間になった。愛することができる人間になっ た」。このように教えたと言います。
ところで、私の両親はこんなことは言いませんでした。こんな話をしなければ、こんな教育をしなければ、恥ずかしく思いなさいと言うのと同じことになりま す。なぜかというと、子供たちはどのように考えるか分かりません、このような状況に対して。父母が与える額縁(フレーム)を通して、自分の弟をどう見れば いいのか、自分の兄弟をどう見ればいいのか考えるので、この子を恥ずかしく思ってはいけない。あなたの兄弟だ。私たちに神様が下さった、本当に亨進様が与 えてくださった名前のように、天の宝物なんだ。私たちの家庭に対して天が下さったプレゼントだとお母さんは思うよ、お父さんは思うよ。
このように子供たちに教育しなければいけません。ですから、その子の状態がどうなのか、どれだけ悪いか、悪くないか、そんなことを離れて、父母がそのことを子供たちに教育することが非常に重要だと思います。
一例を挙げると、ある教授夫妻がいます。恐らく、私が名前を言うと皆さんが知っている 教授夫妻です。その方に8歳の子供がいます。その子に肢体障害があります。私も本当に知りませんでした。その方は本当に華々しく活躍していて、いつも明る いので、そんな子供がいると知りませんでした。
ところで、家庭訪問すると、その子供を座らせて、私の息子で…と説明してくれました。私が、こう言いました。「どれほど大変でしょうか。どうして、こん な状況なのに明るくしておられるのでしょうか。本当に知りませんでした」と話すと、その方は、こう言いました。「私はこの子を通して、傲慢でなくなりまし た」。こう言ったのです。「自分は全て持っていると思っていました」と話すのです。自分はたくさん教育を受けて、いい仕事もあって収入もよくて、全てある ので、世の中を当然のように考えていたのに、この子を通して私は傲慢にならないことを学んだ、と話されるのです。私がその話を聞きながら、本当に神様は試 練の中でもこのように祝福をくださるのだなあと、本当に感動深く感じたことを覚えています。
三番目は、障害児童の兄弟たちに、「あなたは本当に大切な(貴重な)子供だ。お父さん、お母さんはあなたを大切に思っている」ということを、機会がある時に、言ってあげなければなりません。


なぜかというと、父母は本当に余裕がないじゃないですか。障害児童の世話をするために 本当に余裕がないので、余裕がなくて愛してあげられないのに、子供たちの立場では愛されなかったので、「ああ、お母さんは私を愛していないので、愛してく れないんだ」と考えるようになります。ですから、あなたが本当に大切だと話してあげなければなりません。
亨進様は子供たちと1対1、子供を抱いてあげなさいという話を聞いたと思います。ある場合には、障害児童が家にいると、その子供を置いて行けない状況も あるじゃないですか。そういう時は創意力を発揮してもいいと思います。1週間に1度、日を決めて、その子供が食べたい食事を家で作って、それを与えなが ら、「これはあなたの日だ」と、そうしてもいいと思います。それから、1000ウォンぐらいあげて、「これで好きなものを買って食べなさい」と。このよう に1カ月に1度、そのように日を決めて、1週間に1度は多過ぎますね、1カ月に1度、その子供のために(何か)してあげたらいいと思います。兄弟が3人な ら、毎月1人ずつ回りながら、そうしてもあげてもいいですね。そういう風に少し創意力を発揮して、子供たちに一人ひとりの子供の日を作ってあげる、その子 供が大切で、お母さんにとって特別だ、その話、それを表現すること、話してあげることが非常に重要だと思います。
それから、ある子供の日になった時、母親の心をその子供に話してあげるといいようです。お母さんが何々のことで苦しい、だから何々のことであなたがお母 さんのために祈祷してくれたらいいな。お母さんが今日、総会に行くのだけど、お母さんがうまく話せるように祈祷してくれたらいいな。このように、その子に 頼むことは本当にいいと思います。自分はまだ幼くて何もできないけど、お母さんのためにできることもあるんだ、私が力を与えることができるんだ、そんなこ とを子供たちが感じることができるし、お母さんにとって私は大切なんだ、私がお手伝いできる存在なんだ、そんなことを感じられるようになります。


それから四番目は、祝福というものを念頭において、「あなたを愛してくれる人が必ずいるよ」と話してあげることが重要だと思います。


私たち統一教会員はみんな祝福を受けますが、今日も見たように天宝会の会員たちも祝福を受ける姿を見ましたが、障害児童の兄弟たちは自分たちは障害がないのに不安(恐れ)があります。私のような人間と誰が祝福を受けたいと思うだろうか、そんな思いがあります。
だから、「あなたを愛してくれる人は必ずいるよ」、「あなたを理解して受け入れてくれる人が必ずいるよ」という、そんな話を子供たちにしてあげることは とても重要です。でなければ 子供たちは祝福を受ける前にとても不安に感じ、私を受け入れてくれる人がいないので、私は理想家庭を実現できない、私は四位 基台を成せない、そんな漠然とした不安感が子供たちに生まれます。
そうだとすれば、私の話をしてあげることもいいと思います。ヨナ様は障害をもった弟がいたけど、父母様の家庭に入って立派にやっているじゃないの。亨進 様のように、あなたを心から愛してくれ(る人がい)て、あなたは立派に四位基台を成すことができるよ、それは真の父母様があなたに願われていることよ、と 教えて、話してあげる。幼い頃から話してあげることがとても重要だと思います。そうすれば、子供たちは漠然とした不安感がなくなります。


 それから五番目は、子供たちが善良なことを当然と考えてはいけないということを、私がしっかりお願いしたいと思います。


子供たちは、さっきお話したように憎しみ、嫉妬、愛、同情などとても多くの感情が交 じっていますが、私たちは生活の中で見ると、この子はいい子だ、言うことをよく聞く子だ、このように考えやすいのです。なぜかというと、障害児童の面倒を みることが非常に大変なので、あるいは、そうなるのが自然なのかもしれません。
また、ある時は、とても腹が立つ場合があるでしょう。私も思い返すと、「お母さんはどうしてそんなに極端な表現を使うのだろうか」、「もう少し理解して 受け入れてくれればいいのに、どうしてそうできないのだろうか」、そんな思いがする時がありました。幼かった時は。ところが、いま考えると、私が子供を生 んで育ててみて、それもあり得るなと思います。私はこんな平凡な子供を育てるのも大変なのに、(障害をもった)弟を育てながら、どれほど多くのストレス と、どれほど多くの心痛があっただろうかと思うと、すべて理解できます。しかし、成長期には、お母さんがそんなに私に対して腹を立て、ストレスを受ける姿 を理解できません。単に、お母さんは私が嫌いだからそうなんだと考えやすいのです。
ですから、天宝会の会員のお母さん方も、人間なので腹が立つ時があるはずです。そういう時、腹が立っていても、腹が立った(怒った)後、それが少し鎮 まった時に、「お母さんは、こんなことで腹が立っていたの。あなたのせいじゃなかったの」。このように、そんなことが起こった時には、子供たちに「ごめん なさい」と言ってあげて、さらに、「これこれで、あなたが手伝ってくれて、本当にありがとう」と話してあげることが、障害児童の兄弟たちのアイデンティ ティー発達のために非常に大切だと思います。自分を大切に思うために、非常に重要だと思います。


私が立場もわきまえず、主観的な考えを列挙しましたが、私も見ながら、如何なる場合に も私たちを放棄しない真の父母様の姿を目の当たりにしています。それから、復帰摂理を導きながら、人間たちを何度も何度も放棄しうる状況でも、私たちを ずっとつかんで放さず、復帰摂理をずっと導きながら中心人物を立てられる神様の復帰摂理路程も目の当たりにするようになります。
そうです。私は、ここに来ながら誓ったことがあります。私は、天宝会の会員の皆さんを見ながら、実際に私の母のようだと思いがします。それから、どんな 考えをもっているのか、私は心情で感じられます。私が一つ考えたことは、ここに来て絶対に泣くのじゃない、そんなことを誓ってきました。なぜかと言えば、 今は一緒に泣いて同情するのでなく、どのように勝利して、どのようにしてここで私たちの子供をもっと立派に育てられるか、それをここで論議する場所なの で、そうしたくないと誓いながら来ました。


聖書でも、天国に入る人は本当に、幼子のように純粋でなければならない、こんなみ言が あります。ところで、天宝会の子供たちを見ると、本当に幼子のように純粋じゃないですか。私の弟を見ても、本当に幼子のように純粋です。ある意味では、ど んなに幸福だろうか、太平だろうか。そんな考えももつようになるのですが、そのように考えると、本当に天国に近い子供は、私でなく私の弟だなあ、こんなに 考えたりもしてみます。そうして、このようにできるのも、この子供のためには幸せかもしれないな、と考えてみたりもします。
もちろん天宝会の子供たちは育てるのが難しく、他の子供たちと違いますが、その子供たちは私たちの二世で、とても大切な子供だということ、また、真の父 母様の前に大切な子供であることは変わらないと思います。ですから、私たちみんな力を合わせて、本当に大切な二世として育てられるように共に努力しましょう。



いかがでしたでしょうか。
実際、特にTwitterでは、ユルい繋がりと言われながらもBlog以上に発言がダイレクトに聞けるし言えるんですね、で、そういう所でやっぱり障害児を持つ親としてみれば「どうしよう」って思いになるのは当然で、だから、横の繋がりが大事じゃないかなと、思います。
そう言う意味では、twitterって「近所の広場」みたいだなぁ…と。
いや、何書いてんだろ?
えと、感想コメントが有れば、お願いしますね。




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