2012-10-31

「全体蕩減」(1983/04/03 韓国)


どもです。
既に殆ど条件と化してますが、まあ、こっちの気が済むまで続けようとおもいますのでよろしゅうに。
今日は、「全体蕩減」(1983/04/03)の御言葉からの抜粋です。

今は世界的出エジプト路程の三年期間
 だから、この前も言ったように投げ網をずーっと投げて数千匹の魚にかぶせて、紐を伸ばしておいて、時が来た場合には、ああ、春だ、時になった。いよいよ必要になった場合には、巻く。ウィンチで巻けばいい。神様がね。それで、引っ張る紐は何かというと、統一教会の思想である。統一思想のその綱に引きずられて巻かれていく。そうしたら、損の中の魚はみんなどこの懐に行く。神様のところへ行く。すべてが神様のところに。だから、こういうようなまっただ中において、最後の決断をなして出動命令をなす時が来なければならない。それが今の時期である。もう過ぎている。三月一日、そういう命令を出してアメリカにおいて全員動員した。それはカナン復帰において、カナンの地を前にし、三年をあとにして訓練する時期である。
 エジプト時代において、三日を中心として、我々の神に侍るように期間をパロに願ったと同じような自由期間三年。そこではもう死に物狂いに活動しなければならない。自由期間三日と同じようにね。そういう神に忠誠する三日を願ったと同じように、その期間に当たるその三年が今からの三年期間である。分かりました?その荒野において、六十万人の一世はみんあ、それは鷹の餌になって死んで行ったんだけど、後世、二世は、カナンに入った。今も、アメリカの地とか、日本の地とかの第一世は統一教会にみんな反対した。しかし、二世はわからないね。
 我々は二世を生育して二世を整備する。今、三年の荒野の中にある。廃れたその立場に飢え死ぬような境地に追われていても、そこにおいて国を愛し、祖国を愛する熱情によって、すべての環境を克服する熱情と信念と出動の訓練をするのが今の三年間であるというんだね。分かりました?その訓練をなさなければカナンの七部族を解放できない。だから、今からそれを訓練しなければ、その共産主義を壊滅させることはできない。荒野の果てに立っておる我々統一の信徒は、決意を固めて天の心情を中心として、天の心情の兜をかぶれ。いかなる時でも、征服しなければならない。実戦場に向かう勇士をつくらなければならないのがこの三年間の使命である。分かりました?
 だから、世界の果てのどこでも、二十四時間どこに行っても、勝利の旗を掲げよ。町は町、市は市、郡は郡、村は村で、、いずれの津々浦々の一軒の家だに残さずして、そこにおいて勝利の優勝者たる。優勝者たる、優勝兵たる使命を果たさなければ、天意にかなうイスラエルの全体的使命を果たし得なかったことになる。この期間に、「統一教会は荒野の道を越えてカナンに行く群れである。統一教会をリードするレバレンド・ムーンはこの時代のモーセと同じである」ということを早く、はっきりと、絶対に宣布、通告しなければならない。分かりました?
 この期間が三年の期間であって、そういうふうに反対するすべてを踏み越えて、我々は神と世界のためにすべてを捧げる。我々は国があっても国がない。家庭があっても家庭がない。すべてを神の一念に任せてその声に従う。神とその理想の世界万民の愛の世界のためにすべてを捧げて、絶対服従圏でもって捧げて一体化して、超国家的、超民族的に、そのエリコ城に向けて直進して行かなければならない時期がこの三年間であるということが分かりました?
 何ら躊躇することを許さない。すべてを投入する。力があれば、力を投入せい。すべてあるだけの尊いものすべてを天意にまかせて投入する。そればかりでなく、命と共に神の愛の心情をそこに打ち込んで、すべてが砕けてなくなっても愛の心情は永遠に残るという信念でもって進んでいかなければならない。こういうような歴史的、再終着点に立っていることを各人が知らなければならない。その場にあって我々は敗北者になってはならない。敗北者は悲惨である。勝利者にならなければならない。超民族的、西洋、東洋の統一教会のメンバーは氏族を超えて、国を超えてその一点に花を咲かせる。火を付ける。そして一緒に爆発する。爆発すれば心情世界に新しく生まれてそこで再復活する。神様も復活する。神の解放圏がそこにおいて生まれる。こういくような偉大な蕩減復帰基盤を目前にして、前進する今の我々の隊列であることをはっきり知らなければならない。
 こう見た場合には宗教全体もそうだ。今年になったら、神様会議が三年目である。「ゴッド・コンファレンス」。それで、今年も全宗教を動員してその中核メンバー、若い者をずっと結束する。そういう「ワールド・ユース・フォー・ゴッド・セミナー」をやっている。世界を含んでいる。あらゆる方面を組んでいる。だから、今から世界の知識者は考えている。「世界的に考え、世界的に活動する歴史的人間を数えてみれば、それはレバレンド・ムーンしかいない」というように、知識階級の人たちがもう、そういうふうに認定するようになった。
 だから、世界的問題はレバレンド・ムーンがやらなければならないという基準にもでなっている。今度のこの三年間で我々がその使命を果たす。天が支持する勝利の基盤を作った場合には、完全にマスコミが新しく我々について書き始める。そう見るよ。その時は、日本で反対されるムーニーの、蕩減復帰条件を必要とする迫害の時代は、我々の目前から永遠に消えていくだろう。行く先々に歓迎の歓声が天を衝くほどに、それはとどろきあふれるであろう。
 そうなれば、我々はもう伝統をつくったね。伝統的基盤をつくった。世界宣教師を中心として伝統的教会をつくっている。そして思想の目標は統一の世界、一つの国を慕っている。「私の誓い」と同じようにその国は一つの主権であり、一つの国民であり、一つの国土であり、一つの文化である。一つのその真の父母を中心とした血統でつながっている。心情圏によって犯すことのできないそういうような理想的な後継者になるというような誓をすべてなしうる。聖書の、「恩讐を愛せ」というすべてが成し得る。聖書で教えたイエス様のその教えについて、一般のクリスチャンは、恩讐は個人と思ったのに、そうではない。統一教会は恩讐国家とか世界とか、国家を中心として愛する。恩讐国家圏に天国出発基準の目標をおいている。恩讐国家の中心点に天国の出発点をおかなければ、伝統的基盤をつくって出発をさなさなければ地上天国は生まれてこない。こういうふうにして伝統を立てたならば、いかなる歴史が続いてもこれ以上の思想、これ以上の消化する主義は生まれてきません。最後だね。四大恩讐圏による世界的基盤を中心とした勝利的天の基盤の上に天国を出発せしめる。それをなし得た場合には、そこから地上天国は始まる。分かりました?
 それで今、この三年間は全体蕩減。もし三年でできなければさらに三年、我々は延長できる特権をもっている。六年間。三年間は全体蕩減。蕩減して何をするか。復帰。復帰は何の復帰か。完成。個人復帰は、アダム個人完成は、家庭完成の基であり、氏族、民族、国家、世界の完成の基であるんだね。そういう基盤がなされる。それで、先生が全体蕩減条件を立てて、サタンから勝利的基盤を得て、それを縮小して、君たち万民ともどもが、それを成し得るような環境的勝利圏を授けるためのものがホーム・チャーチである。それは、カナンの福地を復帰した時の遺産を譲与する基盤である。分かりました?

ふぅ。長かった(ーー;
ぶっちゃけすごく観念的な内容じゃないかと思います。詰まる所、「この三年間で一定の勝利の基準を立てなければならない」ってことなんだろうと思います。
ただ、やはりこの時の三年間が勝利的に終えたかといえばそんな事は無かったことが今となっては残念以外の何物でもないとおもいます。

まだ続けるのでよろしく〜。
では〜。

p.s.
もしよろしかったら、コメントもお願いね。ウフ

2012-10-30

「我々はなぜ苦労しなければならないか」(1972/09/11 韓国 水沢理)

どもです。
ちょっと、ペースが落ちてきた。
今日は、「御旨と世界」の「我々はなぜ苦労しなければならないか」からです。

不平不満は許されない
 神は、我々人間になぜ服従を要求するのか。それは神自体が喜ぶためではない。我々人間を喜ばせるためである。神の理想相対圏に立たせて、再創造の目的を完成させることによって、堕落した要因を逆に押しのけて、乗り越える立場でなければならない。堕落はそもそも服従しないところから始まったのだから、それをもとがえすためには、絶対必要な要件として、「絶対服従せよ」と命令せざるをを得ません。だから宗教においては文句を言えません。弁明が言えません。絶対服従である。こういう結論になります。
 絶対服従、それは苦労である。苦労の目的は、結局神の創造本然の一から、完成される立場にまで立った条件として認められる。だから苦労を、犠牲をしていけば、我々は完成圏に立つ。それ以外に道がないからその道を満たし、宗教は相応した苦労の道を強調せざるを得ない、ということを理論的に整理しておかなければならない。堕落の道を乗り越えるには、絶対服従の道以外にない。だから神は、仕方なしにこの道を求めざるを得ない。
 復帰の道においては、不平不満は絶対禁物である、許されない。絶対犠牲なる道で、泣き泣き行くとしたらどうなるか。絶対服従しながらも希望に満ちて喜んで行かなければならない。なぜ、そういう道を行かなければならないか?それは再創造の道であるから、希望の道を今行きつつある立場だから、喜ばざるを得ない。信仰の道は落胆を感じながら行く道ではありません。だから犠牲と苦労は、すべてを授ける器になるというんだね。
 だから宗教の中で、歴史が愛する宗教は何かと見た場合、命を捧げきって、歴史過程を通過した宗教は、世界のすべてを愛することができる。キリスト教は殉教の宗教である。血を流して、世界に発展してきた宗教である。だからキリスト教は、宗教を中心として見た場合、神の前に一番の親孝行をした立場にある。だから、神様がいれば、キリスト教を中心として、世界が始まらなければならないという結論になる。だから、愛の心をもって、いかに長い間犠牲しながらやっていくか、とうことが自分の勝敗を決める内容になってくる。
 しかし、本当の親である神であるならば、神がそういう苦労を子供にさせて喜ぶ立場であろうか、つらい立場であろうか?その世の堕落した親子関係から考えてみた場合にも、自分の子供に苦労させたい親は、絶対一人もいません。しかし、神はなぜ、こういう苦労の道を人間にさせるか。こういう摂理のみ旨を率いて行かなければならない神の立場はいかばかりつらいであろうか。神の立場を考えてみた場合、いかにかざいそうな神であろうか。我々、いかに苦労するといっても一生以外にはない。地上生活は一世紀以内の生涯である。
 だから、神に対して、今日一日の励ましのものを授けてあげるのが孝の道であり、忠の道である、ここにおいて、自分ながらの不平、不満を言うものは天宙的に許されない不孝者である。

まあ、御旨のこと以外でも不平不満は多いよね。
でも、特に御旨の道に於いての苦労にはその背後の神の姿、事情、心情を知らなければならない。
それを考えたら、不平不満は不平不満で無くなる。なぜなら、それを通して成長を願われているから。
神の前に立つにふさわしい者となることを願われている神様であるから。

という訳で、またっ!

では〜。

2012-10-27

「人間に対する神の希望」(1973/10/20 ワシントン)


どもです。
今日もやっちゃいます。それなりにPVもあるので、しばらく続けますね。

「人間に対する神の希望」(1973/10/20 ワシントン)抜粋
あなたは、理想世界がどんなに素晴らしいか想像することができますか?個人は家庭に属し、家庭は社会に属し、社会は国家に属し、国家は世界に属し、世界は神に属し、神はあなたに属しているのです。最もよく与えるものは、最も深く神を知るようになるでしょう。
ある若い人々は、私に向かって「ムーン牧師、あなたはここに今までと同じような古いことを繰り返し言うために来たのですか」と言うかも知れません。しかし、それは全く間違っております。私は、理論からではなく、生活から話をしているのです。私は、我々すべてが、イエスが真理に生きたように真理に生きるべく、ここにいるのだということをあなたに告げているのです。これは、理論でもなく、哲学でもなく、神学的教義でもありません。それは、神の究極的真理であり、それは話されるべきことではなく、そのごとく生きられるべきことなのであります。
人間が、この真理に生きるとき、それは地上に非常に大きな変化をもたらすでありましょう。私が今まで語ってきた真理は、ある意味で、あなたの既に知っていることかもしれません。しかし、誰も本当の意味で信じていなかったのであります。誰も信じていなかったので、誰もその真理に生きた人はいなかったのです。この真理は、神のごとく古いけれども実際は二十一世紀のごとく新しいのです。あなたは真理に生きなければなりません。もし、統一原理の啓示が、この年の経てきた真理を、あなたの心の中で、現実のものとしてとらえられるようにしてくれるなら、あなたはその結果として、新しい真理を発見するのです。統一原理は、我々の現実の神への道を指し示しながら数百万の青年たちの心を動かしております。世界の多くの人々が、神は絶対であり、完全であり、その完全なる神がその対象として、完全なる人間を求められると言う事を学んできています。イエスは、「それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(マタイ 5.48)と言われました。彼は、我々の価値は基準は、神のごとく完成することであるということをはっきり示しているのです。そうでなければ我々は、神の対象であることはできず、神も我々を受け入れることができないのであります。
我々は、誰しも完全でありたいと願い、地上に天国を願っております。しかしながら、我々は「それは、どのようにしてなされるのでしょうか」と問わずにはいられないのです。果たして、人間が完全であることなどできるのだろうかと思うのです。ある人々は、はっきりと弁明して、そのような野望を抱くこと自体が甚だしい間違いであることは、ただ人間観察をしてみればすぐ分かることであると主張します。また、我々は、すべてのものの中に、最も神聖なものの中にさえ、本来的に罪や苦悩というものが備わっていると強調し、「神のみが完全なのだ」と言うのです。しかしながら、神の創造の構想の中における人間に対するイメージについて、十分に理解してみると、完全ということが我々の手の届かないものではないということが分かるようになるのであります。
神の創造理想において、我々は神の宮、神が主人として住まわれる神の霊の宿る宮として設計されました。「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」(コリントⅠ 3.16)。
我々は神の宮となるべく設計されました。我々が、そのような身分を自分のものとするとき、もはや我々は堕落に向かう意志というものを持てなくなるのです。制限とか、法則とかは、もはや必要なくなるでしょう。なぜなら、神の意志が、我々の意志となるからです。神の霊が完全に我々の中に住まわれるので、我々はただ神の命ずるままに動くようになるのです。そうして、我々を導き伴っていく力は完全な力ですから、我々は完全なものとなるのです。
人間が、この最終目的に到達したとき、彼は、神と完全に一つとなるのです。彼は、もはや人間基準にのみ生きるのではなく、神のような基準に生きるようになるのです。完全な神の宮である彼の中に神の霊が住み、彼を所有するので、彼は神の性稟をもつようになり、神の神性と力とを反映するようになるのです。このようにして、人間は天の父が完全であられるように、完全になることができるので。これが、神がアダムをつうして全人類に及ぼそうとされた本然の姿であったのです。

歴史的な、ワシントンでの御言葉。ぶっちゃけ長いです。ここに有るのは全体の十分の一位の分量。
「人間に対する神の希望」として、強烈なメッセージ。
「我々は、神の宮として設計された」
「人間基準にのみ生きるのではなく、神のような基準に生きるようになるのです。」
昨日の中にもありましたけど、詰まるところここなんですね。
ただの夢物語では無いと言うメッセージ。

2012-10-26

「私自身」(1975/7/13 ニューヨーク ベルベディア)

どもです。
昨日に引き続き、「御旨と世界」からの抜粋です。

神を解放する「私」
ここまで到達するには、反対する逆の道を、突き抜いていかなければならない。だから蕩減の道は、堕落した者には原則として表れてくる。だから、これを克服しなければ、いかれないという教えなのである。それで自分を清算する。個人的問題から、家庭をいかに復帰するか、氏族、国家をいかにするか、世界をいかにするかという、はっきりとした理論体系でもって…。
そうして我々は、人格的神様を信じるだけでなく、心情的神様を論じていくようになった。それは、今までの宗教には見いだせなかったことである。神様は悲しんでいるということが分かった。神様が、拘束されているということを、今まで知らなかった。個人のため解放されなければ、あるいは家庭のため、解放、氏族、民族のため、国家あるいは世界のために解放され、世界的解放がなされるには、我々はその目的に向かって、進まなければならない。
新しい宗教を提供した統一教会。その主体は神である。我々は客体である。主体が喜ばない以上、客体が喜んではなりません。だから神を世界的に開放してこそ、幸福の道ができてくるのです。神解放されてこそ、我々の幸福、家庭的幸福、国家、世界的幸福が生まれてくる。これが統一史観である。だから神を解放しなければなりません。
それを今までの宗教は、やらなかった。神によって我が解放される、こういう宗教、神によってうちの家庭が解放されると、まるっきり反対だ。国家も、神はどうでもよい。我は国家的宗教を信じるだけだ。このような国が解放された?そうじゃないでしょう。間違っている。だから我々は正しいことをしているのだから、世界がいかに反対しても、堂々と行進しなければなりません。だから、我々統一教会はこういう信念でもって、我一身を捧げて、世界を救うというのはもちろんだが、神を解放して、世界を救うという信念でもって、四方八方、命を懸けて進むならば、神はいつまでも共にいます。だから、神様は自分の解放のために努力するんだから、我々を援助せざるをえません。
では統一教会を信じるのは、何のためか。私が救われるためか。私よりは国、国よりは世界を救ってやる。それを救っておけば、自分の国は自然と救われる。こういう思想をもっていたとしたらキリスト教は、あんなに数百という宗派に分かれることがない。世界が救われていない。神が解放されていないのです。だから我々は分かれることができません。
だから西洋人と東洋人とニグロが、一つにならなければ神を解放することができない。だから先生は、神の解放という一点に、生涯をかけてきた。神のほうに心を向けて、神の国に帰る。今まで人間は、民主主義を中心として、人間の自由を主張してきた。人間解放を主張した。それと同じように、今は神の自由、神の解放を願って、天宙を主管し得る神につくり変えなければならない。神様は自由になっているの。人間解放、自由を主張する前に、神様の解放、自由を主張しなければならない。その問題を解決することによって、人間解放はもちろん、人間の自由主義は生まれてくるのだ。
きょうの題である私自身は、この私自身は、神を解放し、世界を解放してやるために、生まれてきたという自覚を持たなければならない。世界を占領、個人的、家庭的、氏族、民族、国家的、いくらでも、つらいつらい戦争を越えても、世界の果てに勝利の旗を見て、神を解放して神の自由を主張して、神がそうだと返事して喜びながら我を迎えてくれる。そういうところまでいかねばならない。そうして神の解放とともに、神の自由世界の基準に立って、君も解放、君も自由だと、共に神と人間が歩調を合わせて、一つになったところに、世界的な解放と、世界的自由の本源があると主張する時が来なければならない。

このあとも続くんですが、それはまた別の機会に。
この部分を読むとただ「神解放」の一点に集中されてこられた文先生で有ることがよく分かります。
神様王権即位式」が2001/1/13に挙行された事により、神様の解放自体は成された訳ですが、それでもやはり自分たちのスタンスは「神様の解放」の一点じゃないかと思います。
『その主体は神である。我々は客体である。主体が喜ばない以上、客体が喜んではなりません。』
神様に喜ばれる我となろう。

では〜。

2012-10-25

「真の父母と我々」

どもです。

今日は、最近訓読してる「御旨と世界」から「真の父母と我々」(1972/5/7 東京教会)の一部をはば。

まあ、教会員以外の人は置いてけぼりだと思いますが、そこはよしなに。

では。


変わってはいけない
 だから真の父母と我々、結局は真の父母は完成したアダムであり失敗した第一の父母の基準を完成復帰しなければならない、第二イエス様の失敗した父母の基準を完成しなければならない。しかし、再臨の時代においては先生がもっと苦労したのは、イエス様は霊的勝利基台だけそれは世界的につくることができたんだよ。先生においては霊肉とも世界的なその統一圏のみ業としてここまで上がってきている。今から三年、我々は結束して日本でも力を出して動けば、日本が世界的に認められるその国になるだろう、なぜならエバ国家だから今から日本は発展しますよ。発展するようになっている。三年間の期間が過ぎた場合には発展するようになるのが原理の観ですよ。だからそれを迎えるために特別にそれを成就するために、今機動隊編成をしたんですよ。分かりました?早く人材養成しなくてはならない。人材養成より数が問題である。そう思って日本においては先生にそれを心配かけるようなことになった場合には、エバとして忠誠を尽くす忠孝の烈女としての使命を果たせません。未来性において我々はフラフラする人間になっては困ります。今にも行ったり来たりする者は神の信ずる者にはなりません。だから絶対変わるな。それが先生の結論です。
 こういうように素晴らしい歴史的勝利の基台に立って何が欲しい、何が欲しいかというんだね。それ以上のものはないというんだね。ここにおいてそれを得た自分たちの価値を世界に分けてそれを無上の価値の実体者として誇り得るようにして、神が信じなくても、神を信ぜしめる主体者になるという信念をもって、絶対、行ったり来たり、あるいは変わるようなふうになってはいけません。今から三十年、四十年死ぬまで変わらない?(はい)。
しっかり手を挙げて。先生は信じて帰るよ。 


 はうあ。最後の「先生は信じて帰るよ。」を打ちながら、涙出てきた。




 

2012-10-20

短信

どもです。

今日は、先日図書館で借りてきて子供たちもちょっと気に入ってる絵本の紹介。

これです。
ケーキやさんのゆうれい


先に読んでみてラストでチョットうるっとなりましたがな。


お話としては、
街一番(と言うよりは国一番)ケーキ作りのコーラ・リー・メリウェザー。
その死後、彼女のお店には次々とケーキ職人が来ますが、なんと、そこにはコーラ・リー・メリウェザーの幽霊が…。
追い出されるケーキ職人たち。そんな中、アニー・ワシントンがやってきます。
追いだそうとするコーラ・リー、一歩も引かないアニー。

そして、コーラ・リーは条件を出します。「自分が涙を流すようなケーキを作っておくれ。」

ラストは、先にも書きましたがうるっとします。


で、思うんですよね、これPixerでアニメ化してくんないかな。なんて。



では〜。

2012-10-19

USB接続したDriveの「安全な取り外し」

どもです。

Ubuntu 11.10からだったと思うんですが、標準ファイラーであるNautilusにUSBで接続したデジカメとかを「安全に取り外す」って事が出来る様になりました。


でもこれ、個人の環境のせいなのか、やろうとすると怒られます。
「おまえ、権限ねぇじゃねえか」
今までは、 "ejecter" ってGNOME Panelで使えるモノが有ったのでそれを使っていましたが、12.04以降使えていない。試しにコマンド直接叩くと"Segmentation fault"返って来る。
これについてはlaunchpadでも認識はされているらしい。

Bug #996739 “ejecter doesn't work on precise 12.04 giving segmentation fault”


ただ、そうは言っても無いと困るのでしょうが無くコマンドラインから、umountしてから「安全な取り外し」をしてました。が、メンドイ!

 
しょうが無いので代替策を…。
で、探してみっけたのがコイツ 
USB Safe Removal application indicator

紹介してあった OMG! Ubuntuの記事(Safely remove USB drives using a nifty application indicator (updated with new icon))では、「記事が旧いから気をつけてね」みたいな事が書いてありましたが…何とかなるだろ。

インストールは簡単。
先のWeb SiteにSourceとdebのLinkが有るので、deb PackageをDownloadしてdpkgやGDebiとかでInstall。
その後、「自動起動」に"indicator-usb" を追加。
終わり。
ホントなら、ここで再Loginなんだろうけど、すぐに使いたい場合には、Unityなら ALt-F2で開いた所に直接コマンド起動。

起動した状態で、USBにドライブとか繋ぐと,IndicatorにIcon登場。

真ん中の白いのがヤツだ。
コイツをクリックするとメニューが現れる。
 "usb0"を選べば、無事umount完了。

実際使ってみると、やっぱり便利。

本来なら、Nautilus上でこれは出来てなきゃいけないんだろうけど、この辺(権限周り)はどうなんだろう。

ま、それはさておき、おもしろいもんが手に入ったって事で。



では〜。



2012-10-18

台湾旅行(3)

どもです。

9/17(3日目)

この日は、もう13:00にはホテル出発なので、事実上午前中しか無かったんですが、メンバーそれぞれで動いたわけですが、自分は当然、「あちこちに行く余分な金はない!」状態だったので、予てから気になっていた所に行って来ました。

実は、1日目台北駅に向かう途中にチョット気になる建物が有って、時間が有ったら行ってみようと思っていたんですね。
それが、ここ。
と、その前に。
台北に来た初日も終る頃に気が付いたんですが、日本じゃあ都内に限らず必ず聴こえる「ある音」が聞こえてこないんですね。
正確には「鳴き声」…カラスの鳴き声。
て言うか、カラス自体これっぽっちも姿を見ない。何故?

帰ってから調べたら、こちらのBlog
のよのよ in Zの悲劇?! 台湾の鳥(4)~七夕スペシャル?!~
にこんな記述が
『向こうではハシブトは森に生息し、ハシボソは迷鳥らしいです。』
とのこと、なるほどねぇ。
さて、この建物(と言うか敷地全体)は元々酒造所だったらしい、歴史的建造物という事で保存しつつ内部をリフォーム等してイベントとかで使って居るらしい。
建物自体趣のある作りで道路に面した側の広い芝生とのコントラストが気持ちいい。
見てたら、結婚式場のパンフの撮影なのか、そんなのもやってましたね。

んで、実はここ2日目に紹介した電脳街のすぐ近く。(実際に行くまで気が付かなかった^^;)
ここと電脳街の間に高速道路が走っているんですが、その橋脚部分がこんな風。
 さて、なんでしょう?
正解は、これ。
マザボ!一面のマザボ!
おんなじモノじゃなくて、色々なものが混ざっている様で、したの方のアクリル板にはこの電脳街の成り立ちとかの事が書いてあったんだと思います。(読めてない)

さて、お昼。電脳街のチョット裏手に食べ物屋がひしめいていたんですが、自分で注文票を書いて持っていく様になっていたお店を見つけたのでそこで

 「酸辣湯麺
とろみのあるチョット酸味の効いたスープが美味かった。

13:00集合して、バスに乗り一旦は免税店(もう買わんぞ)
その後、そのまま空港…かと思いきや。「飛行機が遅れているので、もう一軒免税店」
うきーーーーー。
どうやって時間潰そうかと思ったら、免税店に来る途中バス車内から大きな寺院が見えていた。
しかも、免税店からは一直線。これは行かない手はない。
地図を見たら「行天宮」らしい。時間的に行ったらすぐ帰る事になるかも思いながらホテホテ歩いて…。
行天宮!
ここに来る途中、お供え物を売る店が多くって、中はどうだろうと思ったら、

沢山の参拝客でわいわいしてました。
写真右側にチョット写っているテーブルの上にはお供え物がどっさり。

2日目の九分の時もそうだったし、ここや、後、店の前でお供え
したりしてるのを見ると、単なる縁起担ぎとかじゃない信仰心を観ることができますね。
日本人も、もチッと「生活の中の信仰」って事に目を向けても良いいんじゃないかな?

ま、それはそれとして、行天宮ひと通り見て回って、とんぼ返り。

あ、そうそう。行天宮からの帰り、公園で何人かが将棋(?)みたいなのをやってたので、

「へぇー、将棋盤持ち込んでるのか」と思っていたらさにあらず、こんな状態。
描いてある…。
よく見ると、此処一箇所だけじゃなくてここの並び全部がこう言う状態。
ここは、ベンチじゃなくて将棋スペースなんですね。^^)


てな訳で、後は空港から一路日本羽田へ。

いや、楽しかった。


ところで、2日目の添乗員さんが「台湾の人は、一日4食5食する人が多い」って言ってましたが、
一度に食べる量が、日本人の感覚から言うと少ないからそうなるんじゃないかと思いました。

確かに、一度にガッツリ(腹八分目とは言うけども)食べるよりは、チョット足りない位の量を何回かに分けて食べた方が内蔵への負担は軽いんだろうなと思います。

んーーー。でも、もちょっと色々食べたかったな。へへ。

という訳で、「ザックリ」と書きましたけど、機会が有ればまた行ってみたいなと思います。


では〜。


2012-10-15

台湾旅行(2)

どもです。

9/16(2日目)
この日は、オプショナルツアー。

とは言え、自分が選んだこのコース、実は自分だけ (((^^;)
お昼までは、他のメンバーと一緒だったんですが、午後は他のホテルから合流した人達(それでも7人)と一緒に。

午前中は、故旧博物院。
いやーーーーーーー。
ここはぁーーーー。
一日居てもいいかもぉーーーーー。
って思いました。
美術工芸品がわんさか。
唯一、食指が動かなかったのが「書」。これは、ある程度目が出来ていないと、良し悪しがわかんない。残念 ><;
でも、それ以外は「もっと時間をーー」って言いたかったです。1時間半じゃあ短すぐる。
ここ、am8:30からやってるみたいだから、もうその時間に行って、ボケーーっと見ていた…かった。うっうっ。
午後は、九分(ホントは”分”は人偏に”分”だそうです)。
ジブリ作品で有名になったそうですが、自分としちゃあそんな事はどうでもいい。歩く。
坂と言うよりも階段がずーーっと繋がってる所

や、その両脇に土産物屋と言うレイアウトから「江ノ島」を連想してしまった。

で、その階段のほぼてっぺんに有るのが、ここ
 「聖明宮」。屋根の上のディテールが、
すんごく、極彩色。
見てると、参拝(?)に来てる人もいたんですが、どうも中に何箇所か廻る所があってそこに線香を1本づつ供えていく様になってるみたいでした。
で、さっき「ほぼ」と書いたのには訳があって、この更に上(と言ってもほんのわずかですが)に学校が有るんですね。こんな
 2階建ての校舎^^)でも、此処の生徒は皆んなあの階段登ってくるのかと思うと、チョットたいへんだなぁとも思いましたね。

さて、オプショナルツアーとしては、此処まで。このあとはホテルまで戻ったんですが…時間がある。
九分からの帰りにガイドの人から近くに「電脳街」が有るって言うんで、そこへ行って来ました。


なんか、たまたまイベントをやってたらしくって、テントを設置してやってました。

まあ、どこもカメラばかりで…。
流石に、Acer, MSI, ASUSばかり、hpも人気なのか幾つか店を見かけました、けど、所謂「チョット前の秋葉原」みたいなのをイメージしてると肩透かし。パーツショップよりもショールーム的な店舗のほうが多かったです。
で、もう一箇所「光華数位新天地」

こっちは、パーツショップが多かった。
とは言え、ビル一つに色んな店が入っているので、ショップ毎の価格差はあんまり無かった様にも見えました。
むしろ、台湾本拠のバッテリーメーカーとかが有ったりしてそっちの方が面白いと思いました。

あ、あとおまけ。電脳街の近くにアニメイト
さっきの新天地内にも書店が有ったんですが、やっぱり日本の漫画とかの台湾版も多かった。
最近ではあんまりタイムラグ無いのかな?

台湾旅行(1)

どもです。

実は、9/15〜17にかけて、会社の研修と言う名目で台湾(正確には台北)に行って来ました。

いやぁ。面白かった。

ホントは、色々と書こうかと思っていたんだけど、時間が取れない(><;
ので、撮ってきた写真をOpenすることでお茶を濁そうかと…テヘ。

取り敢えず、ザックリの感想などなど。

9/15(1日目)
10時頃に羽田発。日本は晴れてたけど、台北は曇時々雨な天気。

15:00頃にホテルにチェックイン。で、ロビーでその日の夕食をどこで食べるかという連絡があったんだけど、台北市の北側に有る士林ってとこで夜市やってるから、18:40にそこに集合って事に。

で、まあ、メンバー的には色々と行ったり(マッサージとか)したみたいだけどこっちはそんなに金が有る訳じゃないんで、「どしよか」状態。
旅行会社から貰った地図見ると地下鉄は行ってる様だし、時間はあるし。こんな時には、「歩いてみる」に限るわけで、ホテルから台北駅まで(取り敢えず)歩きました。
街並みなんかを見ながらのブラブラ歩きでしたけど、色々と面白かった。
目に付いたのは、歩道の構造。
ビルの1階部分が2階以上の部分より奥に入っていて、結果的に屋根の様になっている。これが結構長々と続いてくれていたので、雨が降っていても傘を差さなくっても余裕でした。

それから、スクーター。多いっ!すんばらしく多いっ!駐輪スペースが歩道脇に有るんですけど、殆どがスクーター。
自転車は、さすがのお膝元GIANT(http://www.giant-bicycles.com/) が多かった。

で、ブラブラ歩きで台北駅まで来て、地下鉄に乗ろうと切符を買ったら。
出てきたのがコイツ
プラスチック製のコイン(?)最初これどうすんのか分かんなくって、暫らく改札辺を見てたら、これで改札機にタッチするんですね。中身はICカードと同じなんだろうけど、後から考えたらコレ、リサイクルって点でもかなり良いんじゃないかな、日本の磁気切符って回収した後溶かして古紙と同じ扱いをするんだろうけど、コイツの場合、(実際にそうしてるかどうかは分かんないけど)発券時に情報書きこむ様にしてるんなら情報消してまた券売機に入れときゃいいもん。日本でも採用しないかなコレ。

で、士林夜市。人で一杯。^^;
食べ物安い。この時食べたのがコレ
  混ぜちゃったけど、担々麺

こっちは、水餃子。この2品で100NTW$。約300円。
他にも、かき氷とかもあったけど、残念、あんだけ歩いたのにあんまりお腹空いてなかったorz

このあとは、ホテルに戻っておやすみなさい。

アルバムのLinkはこちら
台湾(2012/09/15)


2012-10-08

youTubeをBGMで

どもです。

いつの間にか、このBlogも30000PVを達成しました。
でも、累積だからね、あんまり偉そうに言えないな…。^^;

ところで、PCでなんかやってる時にBGMとしてyouTubeの再生Listから再生してる人って多いんじゃないかと思います。
ただ、これをやると音声だけで良いのに、動画の再生も(おまけで)されてしまって、非力なPC使っていると色々と面倒になるんですね。

で、youTubeから音声だけ再生ってできないもんかと…。
しかもなるべくアプリではやりたくない。
贅沢って言えば贅沢なんですが、それでGoogle先生にお伺いを立てたところ、こちらのWebPageがありました。

youtube-dlでYoutubeの再生リストの音声のみを作業用BGMとして再生する方法 - 乙女系プロレスリング

こちらで紹介されていた、youtube-dl というPythonのScript。

これは指定されたyouTubeのURLからDownloadするScriptですが、PlaylistのURLを渡してやると、個々の動画のURLを順に返してくれるので、これをmplayerに渡す…と。

えと、これで良いと思います。
このScript自体optionが多くって、"python youtube-dl.py --help"すると、ずらっと出てきて機能豊富。なんですね、こんなことにしか使わないのはなんか申し訳ない感じもする。ーー;

まあ、自分の使い方としては再生List毎にshell script(って程大層なもんじゃない)作って、端末から起動する。ですね。

音声再生だけだから、やっぱり軽い。しかも、動画が気なることもない! < ここ重要。

と、言う訳で。お試しあれ。

では〜。

2012-10-04

昔っから変わってないのさ。

そういや、その昔。
IBMとマイクロソフトが次期Windowsの開発で協調してた頃、マイクロソフトからIBMに「仕様の情報が来ない」ってんで、結局この提携は御破算。その後にIBMはAppleとOS開発で提携ってことしなかったけ?
つまるところ、「企業収益を如何に上げるか」が大命題だからさもありなんとは思うけど。
まあ、昔から変わって無いって事だね。

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