2012-03-22

3/21(世界ダウン症の日)に寄せて

どもです。

えと、まずはこちらの2本を


てなわけで、今日(ってもう日付変わっちゃったけど)3/21は「世界ダウン症の日」でした。

昨年、それまでWHO認定だったものを国連が認定しました。昨年はそうでも無かった様なのですが今年はDown Syndorome Internationalが中心となって特設Site を作ってかなり大掛かりかつ世界的な規模での「日」になりました。

ただ、ねえ。
まあ、世界各国の具体的な状況って分かんないからナントモ言えないんだけど、こう言う「日」ってやっぱりただの「イベントの日」で終わっちゃいかんのだと思う。
それ以前に、日本でのダウン症を含む知的障害者に対する目と言うのはやっぱり差別的な側面も有るんじゃないかと思う。

家内とも話していても
「昔って知的障害の人ってあんまり見かけなかったよね。」
「そうだねえ」
「ずぅーーっと、家の中に居させて外へは出さなかったみたい」
「近所の人も知らなかったらしい」
みたいな話をするにつけ、「何故なんだろ?」って思う事が多かった。

自分の場合、近所に知的障害の人が居た事は知ってるし何回か見たこともあるし、
今思えば、同級の彼も(ひょっとしたら)ダウンだったのかも知れない。

知的障害者を有る意味嫌悪するのはよく分かる。
「こっちの言ってることがわかっているのか」
「何を言ってるのか分からない」
「いつもなんかだらしなくしてる」
「急に奇声を上げる」
等々
でも、それって「普通の人からしたら未知の行動」に対する無理解でしか無いんじゃないと思う。

ことダウン症に限って言えば、
「ちゃんとした教育をすれば理解し合える」
「理解が遅いので、同じ事を反復する必要がある」
自分の言っている事に対して相手が理解してくれないと腹が立つのは普通の人と一緒。
だから、
「言葉よりも行動が先になる事もある」

だから、ダウン症児/者ってのは「なにも分からないバカじゃない」って事。
知的障害って言うと「障害」に比重が置かれちゃう気がするけど、あくまでも学習曲線が極めて緩やかだという事。
こういう点に於いては、日本ってどうなんだろ?っていつもDS21.infoさんのBlog見る度に思う。
DS21.infoさんのBlogでは海外でのダウン症児/者についての情報をたくさん読むことができるけど、さてそれじゃあ日本は?って考えたら暗澹たる気分にしかなれない。
もちろん、海外のダウン症児/者がみんながみんな凄いとは言えないだろうけどそれでも「普通の人」として扱ってもらえてる感が強いのだ。
以前、ダウン症の若者支援ハンドブックと言う本を読んでまず驚いたのは「こんな研究までされてるんだ」と言うところ、そういった研究の内容が教育へとフィードバックされてるんだと思うと、すごく羨ましくも思った。


「世界ダウン症の日」に限らず「○○の日」って言うのは「お祭りをする日」では無く、「振り返りつつ足元を見直す日」じゃないかと思う、次の一歩を踏み出すための。

自分も何が出来るって訳じゃないから、こう言う(まあ、そんなにPVある訳じゃないけど)Blogを通じて草の根的にやるしか無いと思っているんです。 

で、ここまで書いてきて思ったんだけど、なんで日本のTV局はこれに合わせた番組って1つもない分けェ。最低でもさあ
 日テレ「たった一つの贈り物」 
ぐらい再放送してもバチは当たらんぜ?
ぐぬぬぬ (=_=;)




てな訳で、自分のBlogから。
2番目は読んで欲しいな。
「そう言う子でも生まれてきたのは意味がある」って事が大事。

では〜〜




0 件のコメント:

SSH Keyを作成してGitHubなどに接続してみる - Qiita

大事なことなので。 SSH Keyを作成してGitHubなどに接続してみる - Qiita : GitHubやGitLab上のリポジトリへgitコマンドでファイルをpushする時に、上手く接続出来なかったのでSSH Keyの作成からやり直してみました。これはその作業ログなので自分...