2012-11-23

小ネタ

どもです。

今日は小ネタをばいくつか。

その1

所謂、緑地と言うか、緑化保全の為に雑木林なんかを保全/整備している自治体は多いと思います。かく言う相模原も「木漏れ日の森」として整備してるんですが、原っぱって保全しなくてもいいんでしょうかね。
と言うのも、雑木林には雑木林の、原っぱには原っぱの生態環境と言うか動植物相と言うものがあると思うんです。
雑木林は保全するけど、原っぱは保全せずにどんどん宅地や駐車場のようになっていくと、いずれそういう所に居るはずの昆虫類などが居なくなる…なんてことになりゃしないかと思ったりしてるんです。

どうにかしません? > 自治体の首長様


その2

とうとう、と言うかやっとと言うべきか、解散/総選挙となりました。
現状見てあえて民主党に入れようと言う方は、少なくとも無党派層の方で居るとは思えないのですが、でもじゃあ、自民党が手放しで良いのか?と言う疑問は尽きませんね。

所謂、第三極と言われている維新の会もどうなんだろうね?

まあ、マスコミの保守派叩きは今に始まったことじゃないんだけど、「選挙」が見えてきた時期から叩きが始まっていたのは知っている人は知っている。
今は、幸か不幸かネットのおかげで、色んな論旨(素人考えの部分もあるかもしれないけど)が直接目にする事が出来て判断材料が多種多様に成って来ている…が、それに振り回されないように、個人のポリシーをしっかりともたなきゃいけない時代でもあるのかな。

…まとまんなかった (ーー;


その3


【悲報】色々考えた結果。willcomのAndroidスマフォであるDIGNO DUALにはしないことを決定しましたーーーーーーーーー。

いやぁ、ホントにどうしようかと思ったんです。Willcomとは長い付き合いだし、今の料金体系が分り易くて、安くてとても良いんですが、 DIGNOの料金プランであるプランDってのが何というか……ボッタクリ?
みたいな感じでねぇ。

DIGNOのネット接続はソフトバンクの回線を使って居るんですがコイツの料金(3Gパケット定)が5,460円と言う金額がどうしても納得できんのです。

で、そもそもの自分の使いたい事ってなんだろうと考えてみると、ネット接続しか無いんですね。

じゃあ、だったら「タブレット端末」+「Wi-Fiルータ」でもいいんじゃないかと思った次第。

 

その4


(ここは、チョット技術的なことなので勘弁な)

最近、ABAPで開発してる時にSELECTのHELPを見たんですが、そこに "PACKAGE SIZE"なるものを発見。なんじゃこりゃと見てみれば、
... INTO CORRESPONDING FIELDS OF wa と同様ですが 、1行ずつ内部テーブル itabに割当てられるのではなく、一度の操作 で作業領域に割当てられます。
という記述。
しかも、
処理のループはなく、 ENDSELECT 命令もありません。
???

つまり、1回のSELECTで任意の行数を取得でき…る…?

んんんん。

えと、つまり、
「条件対象のデータ Top n を取得する」
でいいのかな?

例えば、
select *
     into rec_a
     from table_a
     where  key_a   = 'X'.

     if sy-dbcnt  > 10.
         exit.
     endif.
endselect.
 て、書いていた所を
  
select *
     into rec_a
        package size 10
     from table_a
     where  key_a   = 'X'.
の1文で書けるって事かな?


ううーーーん。使いドコロが限定的すぐる。( ̄0 ̄;)



その5


ところで、そのABAPなんですが、皆さんSORTってどうしてます?

まあ、普通は、

sort intabe by a ascending.

ってしてると思います。

でも、例えば、使う際にはsort Tableの方の方が都合がいい。

ってばあい。sort tableを定義しておいて、そいつにコピーするって方法が楽ちん。
こうね。

DATA:
           tb_a      type standard table  of  strc_a,
           tb_b      type sort table of  strc_a
                                   with non-uniq key  itm_a.


tb_b[] = tb_a[].
 これだと、事前にSORTする必要もないから楽。
注意点は、SORT Table定義の的に"NON-UNIQ" にしておくこと、予めキー項目が重複しないことが担保出来なければ、コピーした瞬間にABENDします。(<経験者)

まあ、これやってる人も多いと思うんですけどね。テヘ 。
 



えと、なんかまとまり悪くってすんませんな。

まあ、小ネタって事で。



あと、御言葉の方も止めた訳じゃないので、またやりますね。


て、事でーーーー。


では〜。



2012-11-15

「復帰の山頂」(1969/07/27)

どもです。
またチョット開いちゃいましたが、やります。
今回の御言葉は、「復帰の山頂」(1969/07/27 韓国 『御言葉選集 第二十四巻』)からの抜粋です。
全文は、Today's World Japan 2011(No.511)に載ってます。

いかに神様と一つになって越えるかが重要だ

 ところで、この山頂を越えるにおいては、誰かが後援し、誰かがそこに協力してくれて行ける道かと言えば、そうではないというのです。もちろん、ある指導者がいて、彼が指導するとおりに行けばよいかもしれませんが、ついて行っても、その道が、その峠というものが、そのように簡単に行くようにはなっていないというのです。ついて行く立場に立っても、最後の峠を越えなければならないからには、指導者が指示する事項、あるいはその方向に行動の一致点を備えなくては、この道を行くことができないというのです。このとてつもない復帰の山頂を、私たちが越えなければならないという事実を、皆さんは知らなければなりません。
 イエス様もイスラエル民族を前に、世界の復帰という峠を越えるその瞬間に、ゲツセマネの園で寂しく血の汗を流しながら「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイによる福音書 二十六章39節)と三回も同じように祈られたのです。ここで皆さんは、この「父のみ旨と私のみ旨」というものが、いつも勝敗を決定した歴史的な分岐点であることを知らなければなりません。
 このように見るとき、復帰の山頂を越えるには、私のみ旨と父のみ旨、私が行く道と父が行かれる道、お父さんの観点と私が見詰める観点、父の歩調と私が歩いて行く歩みのようすがいつも一致しなければなりません。それでこそ万事が一致しうるのです。そうでなくては、その峠を越えたとしても、成功できないのです。そして、その峠を越えていくには、一人で越えてはなりません。必ず神様と一緒に越えて行かなければなりません。
 どうしてでしょうか?私たちはエデンの園を復帰して地上に天国を建設しようとおう目標をもって進みますが、その天国を建設するにおいては私たち人間だけではできません。創造原理によれば、天国は人間だけでは成すことができません。あくまでも神様と合流してこそ、天国を成すことができるのです。これが創造原則なので、今日、私たちがその峠を越えても、一人で越えてはいけないというのです。
 皆さんは難しい峠にぶつかればぶつかるほど、いつもその困難を勝ち抜くことのできる一致点をもたなければなりません。いよいよその山頂に近ければ近いほど、その生死の交差路で皆さんは神様と接することのできる一つの一致点を準備しなければならないというのです。その一致点を準備するにおいては、神様が私たちにただ自動的に準備してくださるのではなく、皆さん自身がそこに歩調を合わせ、そこに一致団結しなければならないのです。
 ゆえに、皆さんはそこに自分の実体をいかに注入させるかという問題を中心として、努力しなければなりません。このような基点を、どうせあるひと時には準備しなければなりません。統一教会自体でも、あるひと時にはそうなることを願っているのです。
 民族復帰というこの厳粛な課題を前に、私たちはいままで闘争してきましたが、今日、それが終盤戦に入ったかと言えば、まだ、入ることができていないというのです。ゆえに、今もある山頂に向かって進み続けているのです。あるひと時に、必ずその最期の基点を迎えるべき時間が来るでしょう。その時間が私たちの前に、焦燥するかのように近づいています。
 では、これに対して私たち自らは、どうすべきでしょうか?
 それ以上に切迫し、それ以上に焦燥する立場で、それを克服しうる信念が確固としていなければなりません。その確固たる信念を中心として、過去、現在、未来に通じることができ、そこに心情的な内容を備え、その峠を私が十分に克服して越えられるといえる立場に立たなければなりません。そうでなければその峠を越えることができないのです。それほどこの峠を越えることが難しいということを、皆さんは知らなければなりません。

ふうぅ。濃イイですね。
まあ、見出しの「いかに神様と一つになって越えるかが重要だ」がすべてを語っているといっても過言じゃないですね、結局は、中心との一致点をいかにして見出して、維持していくかと言う事でしょうか。
個人的には、
民族復帰というこの厳粛な課題を前に
から始まる、最後までの部分。特に
あるひと時に、必ずその最期の基点を迎えるべき時間が来るでしょう。その時間が私たちの前に、焦燥するかのように近づいています。
の一文はお父様が聖和された今となっては、すごく意味深く感じます。
そしてそれは自分たちにも当てはまるわけで、その時をいかにして迎えるのか…。
その為にも
神様と接することのできる一つの一致点を準備しなければならないというのです。
と言う事なのじゃないかなと思います。

という訳で、
では〜

2012-11-09

Ubuntu 12.10 で(おそらく)一番良かったこと

どもです。
Ubuntu 12.10(Quantal Quetzal) が無事リリースされました。
UnityベースのUIも随分慣れっこになっちゃいましたが、皆さんはどうですか?

今回のVersion Upで個人的に一番良かったのが「USB Deviceの安全な取り外し」がちゃんと動くようになった事。
この辺のことは、前に『USB接続したDriveの「安全な取り外し」』に書きましたが、権限関係で上手く動いてくれてなかったんですが、
今回のVersion Upで…ちゃんと動くようになりましたぁ。
Nautilus上はこんな感じ

で、今までは右側の三角の”Eject”ボタンを押すと、「権限ないからUnmountできません」って言われていたんですが、
今回のVersion Upでは、こう!

ちゃんと聞いてきてくれてます。
チョットメンドイ感じはやはり有るんですが、出来ないよりはずっといいです。

てなわけで、今回は小ネタでした。
み言葉の方もまたやりますのでよろしく。

では〜。

2012-11-06

「祭物の完成」(1971/09/05 韓国) - (2)

どもです。
「祭物の完成」の(2)です。
(1)はこちら。

 このように全てを犠牲にした後にはどのようになるのでしょうか?父母もその子供を中心に立てようとするでしょうし、妻もその夫を永遠なる中心に立てようとするでしょうし、子供も「私たちのお母さんとお父さんが世界で最高だ」と言うでしょう。このようになるのです。中心になるのです。
十人の友達の中で、一人の人が犠牲になれば、その人は十人の中で愚かな人のようですが、行けば行くほど彼は十人の中心存在となるのです。自分の出世のために十人の友達を利用すれば、落ちていくのです。落ちていけばなくなるので、滅ぶのです。
 ところが、友達のために犠牲になり、自分の生命を捨てようと覚悟した人がいるなら、その十人の友達は全て彼にぴたっとくっつくでしょう。彼が死ぬようなことがあれば、お互いに「私が代わりに死ぬ」と言うでしょう。それだけではなく、友達の周辺の人々までも動員されるのです。このように絡むので、滅びないで興隆するのではないですか?皆さんはこれを確実に知らなければなりません。これは間違いのない事実です。
 神様は永遠に滅ぶことのできないおかたなので、永遠に興隆することができる道を捜してこられるのです。これが神様が取ってこられた道であるので、歴史の途上で保守戦をしています。攻撃戦ではありません。保守戦をするにおいてては、いつも最初に打たれて最初に犠牲になるのです。犠牲になって、何十倍もの犠牲の代価を捜し出してくるのです。これは祭物と同じです。祭物が犠牲になれば祭物を犠牲にした群れは祭物の前に屈服するようになり、屈服した全体が復帰されるのです。全てそのような恵沢を受けるのです。今、先生はこのようなことをしています。
 ですから、個人は家庭のために犠牲になり、家庭は宗族のために犠牲になり、宗族は民族のために犠牲になり、民族は国家のために犠牲になり、国家は世界のために犠牲になりなさいというのです。そうだといって、サタンの国家と世界のために犠牲になりなさいというのではありません。新しい国の理念の望みながら犠牲になれば、悪は屈服するようになっています。悪はなぜ屈服するのですか?悪は、終わりになれば善の前に屈服するようになっています。悪というのは傲慢です。傲慢なので、終わりになれば滅ぶようになるのです。
 ソ連のフルシチョフが国連総会で靴を脱いで、それで机をぶん殴って…。それを聞いて、私たち食口を中心に話をしました。「あなたがたは今や下がっていかなければならない。首を切られて下がっていかなければならない。あなたは最後のその行動を通して、この地球上から退かなければならない」と言いました。今や悪は最高の絶頂に達しているので、これ以上、上がることはできません。天が打つのです。ですから、共産党はがらがらと崩れざるをえません。

「天の前に犠牲の道をいけば、けして滅びること無く発展する。」ですね。
先生の一貫した姿勢。だから我々もその如くにならなければならないし、それが我々に願われていることですね。
後天時代を迎えて、「蕩減の歴史」は終わったとは言え、今の何一つ復帰されていない現状ではやはり「犠牲の道」を行くしかないのが我々ですね。

てなわけで、また次回(あるのか?)まで。

では〜。

2012-11-05

「祭物の完成」(1971/09/05 韓国) - (1)

どもです。
間開いちゃいましたけど、またチョイチョイやりますね。
< 期待されてるのか?

今回は、「み言葉選集 48巻」から「祭物の完成」からの抜粋の(その1)です。
手元にToday's World Japanが有る方は、2012.9に載っていますので、全文はそちらをどうぞ。

統一教会員はどのような思考方式を持たなければならないか
 それでは、統一教会員はどのような思考方式を持たなければならないのでしょうか?個人を犠牲にして家庭を天の前に立てよう、家庭を犠牲にして家族(氏族)を天の前に立てよう、宗族を犠牲にして民族を天の前に立てよう、民族を犠牲にしても国を立てよう、国家を犠牲にしても世界を救おうという思考方式を持たなければならないのです。米国が、自分の国が滅ぶからといって、世界を投げ捨てて自分の国だけ活かそうとするならば、滅ぶのです。
 今後皆さんは、歴史的な方向をどのように模索するのですか?今後大韓民国はどのように行くのか、日本はどのように行くのか?これを誰も知らないのです。皆さんはこれを知らなければなりません。今までの歴史的な方向というものはどのように出てきたのですか?人間個々人が出世するために出てきました。堕落はどのようにして起きましたか?自分を自覚したところから起きました。自分の名誉を自覚したところから、あるいは自分を立てるところからです。天使長もそこから、エバもそこから堕落したのです。今まで歴史の方向は自分が出世するために第三者を犠牲にしてきました。これが堕落の結果です。天使長はエバを、エバはアダムを、全て自分が残るために第三者を犠牲にしたのです。これが今までの歴史の方向なのです。
 これが繰り返されて世界的に展開される過程で、数多くの戦争の歴史を残すようになったのです。ですから、民主世界だとか共産世界だとかいって対決して、最後には自分たち自ら全て後退せざるをえなくなっています。今は共産世界が行く道、つまりマルクスの『資本論』を中心とした経済理念で世界制覇をするという夢が妄想の論理であることを証明できるオートメーション時代に入ってきました。
 米国が主導する民主世界はこれからどのようになるのでしょうか?これからの世界はどのようになるのでしょうか?今は秋を迎えました。これ以上は行けないのです。米国の国民は現在、退廃的な思想が宿っています。米国はそのような若者層を指導できる資質を持っていますか?全て喪失してしまいました。自分を第一にして、第三者を犠牲にして自分の出世を第一にするのは悪です。ですから、滅びないようにしようとしても、滅びざるをえないのです。
 自分の国のために世界の面倒を見ない国は滅びるのです。神様は世界を捜そうとなさるのではないのではないですか?大韓民国だけを捜そうとなさる神様ではありません。大韓民国を犠牲にしてでも世界を捜せば、犠牲になった大韓民国を愛することになるのです。どうせ犠牲にするのなら、世界のために犠牲になる立場に立てば、大韓民国は主導的な国家となるのです。それは間違いないのです。
 ですから、今までの歴史の方向を変更しなければなりません。これが統一思想です。新しい歴史の方向を提示するだけでなく、この歴史の方向を元へ戻さなければならないのです。自分の出世のために第三者を利用し踏みつけて上に上がろうとする主義は、終るようになっています。そのような主義は既にその結果に逢着して、この混乱した世界情勢を束手無策で観望するしかない立場です。その悲惨さを貫いて出て行く道がないのです。方案がないのです。
 ここに方案があるなら、たった一つ、回れ右して反対の道を行くことです。その思想がなんですか?人を犠牲にして自分が出世しようというのではなく、自分を犠牲にして人を出世させようというのです。そこに興味ある国が生じるでしょう。興味ある国家観、興味ある世界観が生じ出るでしょう。このような観を中心として出てくるのが統一史観です。個人が家庭のために犠牲になるのは正当な法です。ですから、父母の前に犠牲になれる道理を捜し、妻の前に犠牲になれる道理を捜し、子女の前に犠牲になれる道理を捜してこそ、息子の使命を果たし、父母の使命を果たし、夫の使命を果たすのです。これが統一思想の行く道です。
(続)


ふぅぃ〜。
続きます (^^;

まあ、「自らを犠牲として他を生かす」と言うのは、”神様の戦略”であり、文先生も当初から一貫して語られているところですので、耳タコと言われればそれまでなんですが、ただお恥ずかしいところ「妻の前に犠牲に…」については考えたこともなかったです。ともすれば、夫婦間なら”対等”と捉えがちで、自分もそんな風に思っていました。家事の分担とかは義務的なイメージでも有ったんですが、ここを読んで考えを改めなければとも思いました。

しかし、
マルクスの『資本論』を中心とした経済理念で世界制覇をするという夢が妄想の論理である
『妄想の論理』ってバッサリ ^^;当時(1971)の事を考えたら「そういう方こそ妄想だろ」ってツッこまれても仕方ないし、実際そうだったみたいで…でもソ連崩壊前後の一連の動きを見て見ると
これがいかに的確で有ったかと思わざるを得ませんね。

続きも近日中にPostしたいのでよろしくです。

SSH Keyを作成してGitHubなどに接続してみる - Qiita

大事なことなので。 SSH Keyを作成してGitHubなどに接続してみる - Qiita : GitHubやGitLab上のリポジトリへgitコマンドでファイルをpushする時に、上手く接続出来なかったのでSSH Keyの作成からやり直してみました。これはその作業ログなので自分...